余地を残した設計
山崎
ありがとうございました。「北野町の住居」でアートピースがドサドサと置かれていた様子について、何が置かれても建築が作品の額縁になっているような印象を受けたんです。「六甲の住居」でも同じことが起こっていたんですね。
柴崎
私は捨てられない物が多いのですが……、この家はとても片付いているように見えますよね。
島田
片付いて見える理由は、天井を高く上げていることにあります。天井には物が置けないので、視界の3分の2が竣工時のままなんです。すると、上に大きな空間ができて、下に物があってもハマります。基本的に床はグレーにして、壁を白く塗ることが多いのですが、それはギャラリーや美術館と同じ仕組で、物が置いてあっても抽象化されて見えるからなんです。
柴崎
建築ってでき上がった時が一番完璧な状態なものが多く、いろんな物を置いたらどうなるんだろうなって思うことがあるのですが、物を置ける空間というのはいいですね。励みになります(笑)。
島田
引き渡し後、最初に見にいった時はぎょっとすることも多いんですよ。ところが、半年ぐらいするとすべてぴたっとしているようにみえる。毎日ちょっとずつ感じる違和感に従って場所や向きを変えているうちに整っていくんですね。
柴崎
物と建築が近づいているということですか?
島田
そう、馴染んでいく。小さなことでも住人が判断していくうちに、全体として一つの室内風景ができ上がるんです。今ほどたくさんのものが家に入ってくる時代ってなかった。江戸時代の生活はシンプルだし、ライフスタイルも皆同じ。ところが今は、江戸時代の物もモダンな物も置いてある。住宅はそれらを受け入れる器に住宅はなるべきだと思っています。
柴崎
どこに何を置くかは細かく決められていないような気がしました。自由度が高くて、使う側の人が決めていくと。島田さんの場合は、使われているうちにだんだんでき上がっていくという余地を残して設計しているんだなと思います。
島田
たまにこう言われているように思える住宅があるんです。「ここで座って、そっち見たらいいもんが見える。そこで酒でも飲んだら暖炉で火が燃えてるし、ええやろ?」と。でも、風景なんてクライアントは自分で発見したいんです。
小説は座標軸のように説明しても伝わらない
島田
僕は住宅を発表する時に、「◯◯の住居」と名付けています。住居という言葉は、住民がポジティブに関わっているように思うんですね。「じゅうきょ」とも「すまい」とも読めるので、1つの漢字に2つの読み方があるのもいい(笑)。
柴崎
先ほど階段の向きが経験を規定するというお話がありましたが、最近、大阪の建築を見る仕事があって、建築は空間の経験を決めたり変えたりする、操作しているんだなと改めて感じています。私は家の内部や、町を歩いているといった場面を書くときに、小説の中で町を歩いている人に見えているように書くんですね。その人が階段を上がるとこう見えて、角を曲がるとどう見えるといったふうに。人間の記憶もそうでき上がっていると思っています。小説は座標軸のように説明しても伝わりません。
島田
そんな風に住宅の解説文を書いてみたいですね。建築の設計をともに進めるスタッフにいつも言うのは、模型の写真はアイレベルで、人が体験するように撮影しようということです。どういう目線で見ていて、何が視界に入ってくるのかということを大事にしています。
山崎
島田さんありがとうございました。柴崎さんのご発言で、歩いているように、見えているように人は感じているというところはキーワードだったと思います。では柴崎さん、よろしくお願いします。
怪しくもリアルな認識
柴崎
私は大学時代に写真部で写真を撮っていて、その延長で、趣味で写真を撮っています。3年ほど前からパノラマ機能付きのデジタルカメラを使っているんですが、たまたま仕事で行ったメルボルンで、オーストラリアの広々とした風景とパノラマ撮影は相性が良さそうだと思って撮ったら、とても面白い写真を撮ることができました。それまではフィルム用のカメラで撮っていて、なかなかデジカメの写真に馴染めなかったのですが、パノラマ写真はデジカメならではの機能で、新しい写真の経験の面白さに引き込まれました。

表参道(撮影:柴崎友香。柴崎友香オフィシャルHPより

私のデジカメでのパノラマ写真は、シャッターを押したままカメラを平行に動かして撮影するんです。どこまで収まるのかはカメラが計算していて、自分では意図しない写真が撮れます。撮り始めとから撮り終わりまでは2秒程度かかる。つまり、ちょっと時差があるんですね。撮影中はビデオのように長回ししているわけではなく、縦に細長い写真を何枚も撮って、カメラが合成して一枚のパノラマ写真に仕上げているので、材料は現実の風景ですが、実在しなかった風景になりますん。時差があり、空間的にもずれているものを合成しているわけです。
 だから、写真を拡大すると写っている人が合成の隙間に入り込んでいて、不思議なズレが発生している。現実の風景だけど、実際の風景ではないところが面白いんですね。でも、人間の目ってこんなふうに風景を見ているのかなと思うんです。
 「小説の風景を書くときも写真を見ながら書くのですか」と聞かれることもあります。でも、写真を見ながらでは小説は書けません。写真は情報が平面化してしまうので、大事なところとそうでもないところがフラットになってしまう。だから、写真を見ながら小説を書くと、かえって印象が散漫になるんですね。実在する場所を小説に書くことが多いので、記録のために撮影するんですが、写真はなるべく見ないで、覚えてきた印象のとおりに書く方が人に伝わるのではないかと思います。どこに立つと何が見えるということは、自分で見て書くのが一番伝わると思っています。
パノラマ写真と小説の近さ
柴崎
渋谷駅の交差点で撮影した写真には、横断歩道をぞろぞろと歩いている人たちが写っている。私たちが交差点で周りを見ているときって、こういう眺めじゃないのかなって思うんです。新宿の高層ビル街を撮ると建物が歪むように、現実には存在しない風景を合成するパノラマ写真ですが、人間の感覚にはすごく近いと思うんです。ありのままでないものの方が人間の記憶や意識の中に入ってくるということが、面白いと思っています。島田さんが「1つのものに複数の意味がある」と仰っていたように、小説を書く中でも、見る人によって見え方にブレがあったり、記憶の中で曖昧な部分があるということを意識しています。同じ場所、同じ経験でも、他の人が思い出すとぜんぜん違っていたり、誰も覚えていないような影が生まれていることがあったり。
 私は小説を書くときは、住まいや職場の場所がどの辺りなのかを考えています。ですので、スーパーマップルという道路地図が小説を書く時の必需品です。コンビニの位置も書かれているので、生活の根幹を考える時にすごく助かるんですね。「ここに住んでいると、駅前のTSUTAYAに行ってるな」と。
 街を決めて、職場を決めると、通勤経路や寄り道を考えられます。家の間取りを決めて、どこに人がいるのかも。私の小説では飲み会や食事する風景の描写が多く、小説の長さの割に登場人物が多いとよく言われます。自分でも混乱するのでテーブルの座席表を書き出してから小説を書いています。書いている私自身が、その場にいるような視点で執筆しています。
山崎
1つの出来事をいろいろな角度から見る手段としてパノラマ写真を捉えているというお話は、興味深いです。
柴崎
一人ひとりの心を深く掘り下げるというよりも、ある場所で何かをしている人がいて、別の場所ではその人のことを知らない人が別の何かをしていて、それらが全体では大きな空間になっている。そういった面白さに興味があります。それを小説に書くと、話の筋に関係ないことが書いてあると言われることが多いんですが、関係なくないんです(笑)。小説って主人公の物語が背骨にあたると思われているのですが、私は木の幹ではなく全体を書きたい。人びとの周囲の環境も、私にとっては背景ではなくて、それも場所全体で起きていることの一つなんです。だから、パノラマ写真は自分が書きたいことにとても近いと思っています。
山崎
『その街の今は』を読んでいて、主人公が交差点をサッと駆け抜けていくだけのシーンに、いろんなことが書き込んであるのが印象深かったんです。「周防町へ出て右へ曲がった。何ヶ月か前に火事になった木造二階建てのあったところはまだ青いシートに囲われたままで、その隙間に焼けた壁が覗いて火事のすぐ後に見に来たときの匂いを思い出した」。ここを書かずにはいられないということですか?
柴崎
むしろそこが書きたかったことで、主人公の物語は導線のようなものです。大阪は自転車に乗っている人が多いので、自転車から見える風景を書きながら、この街の中に、仕事している人や買い物している人がいたりという都市の魅力をどう小説にしたらいいのかなと考えた作品ですね。『その街の今は』は、大阪の街そのもの。街の様子が横糸で、恋愛のようなものが縦糸だとすると、縦も横もあってこそひとつの模様となるように書きたいんです。
 交差点の写真に笑顔の女性が写っているとして、周りの人は全然そういうことを知らずにいる。それが面白いと思うし、どうやったら伝えられるのかなと考えています。

砧公園(撮影:柴崎友香。柴崎友香オフィシャルHPより)

山崎
どうしてそういうことを面白いと思うようになったんですか?
柴崎
私自身が大阪で生まれて、大阪の街中育ちだという理由はあると思います。人が行き交っている空間で、人を眺めているだけでいくらでも楽しめて。中高生くらいから、いろんな人がひとつの場所で暮らしていることに、人間の面白さのようなものを感じるようになりました。
島田
今日パノラマ写真を見て、柴崎さんの小説みたいだと思ったんです。人が歩いているようなリズムがあって、始まりも終わりもないような。登場人物よりも街の方が主人公のようだと思っていたので、やっぱり! と。そのパノラマ写真で、人が幽霊のように写っている写真がありました。幽霊ってああいうことなのかなと思うんです。ある現象が人の無意識のスキャンに引っかかってしまって、おかしなものに見えるということなのかなと。
柴崎
ふとした人間の認識の隙間みたいなところに引っかかって表れるのかもしれません。人間の認識って、誰が見ても同じもののはずが意外と人によって覚えていなかったりしますもんね。そこが面白いと思います。
島田
僕も、見る人によって印象がぜんぜん違う建物にしたいですね。
柴崎
島田さんのスケールを変える住宅の話から、「不思議な世界に入ってしまったことを自分だけが覚えていて、他の人に言っても通じない」という童話を思い出しました。周りの人から「そんなものはなかったよ」と言われてしまうことと、幽霊を見たということは同じですよね。
島田
奥行き30cmくらいのキャビネットに見えるのに、扉を開けると深くて踏み込んでいけたりしますからね。
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