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建築家インタビュー
乾久美子
乾久美子/いぬい くみこ
乾久美子建築設計事務所
1969年 大阪府出身
倉方俊輔/くらかたしゅんすけ
建築史家・大阪市立大学大学院
工学研究科准教授
1971年 東京都出身
倉方
延岡駅周辺整備プロポーザルコンペで求められた「デザイン監修者」という役割が事前にははっきりわからないにしても、自分はこれならできるという思いがあったんではないかと思うんですよ。建築家として、あるいは人間として。
あの、それは、難しいですね。その判断はすごく難しいですね。
倉方
プロポーザルで「プロ」と「アマチュア」という言葉を使われていますよね。そこに乾さんの態度がでているのではないかと・・。
うーん。その、まちづくりの本を読むじゃないですか。いろんな「成功例」がでているじゃないですか。
倉方
実は失敗しているものも多かったりしますよね。実際に行くと。
そう、それ。よく言われますよね。
私はまちづくりのプロではないので、なんかこう、読んでいると違和感を覚えるんですよね。建築設計をする時も同じなのですが、そういう違和感って結構重要だと思っています。いろんな方法を皆さん考えて、試されておられるのだけど、何かが欠落しているような気がしたんですよ。アマチュアの視線から見て変だと思うことというのは、プロからすると「めんどくさい意見だな、うるさいな」と思うことが多いと思います。建築設計をしていると奥さんの意見はうるさい(笑)けれど、真理をついていたりするのと同じですね。私が参加することはプロジェクトにアマチュア的な視点を持ち込むことに通じていて、それはある程度、意味のあることだと思いました。しかしながら、市民や市、県、事業者などステークホルダーとのデリケートなやり取りは、猛勉強して、ツボを抑えてうまくやらないとプロジェクトがうまくいかない。そのどちらもが大切だと思ったことを伝えたかったのです。
建築家がデザイン監修者になることの意味について、プロポーザルの時には非常にもやもやしていました。建築家の職能が具体的にどこに生かされるのかがうまく理解できなかったのです。その後、Studio-Lの山崎さんがプロジェクトに参加されていることを知って、ご本人から全体の構想を解説していただいて、いろいろなことがわかりました。
山崎さんの態度は明解でした。コミュニティ形成のお手伝いは建築家なんかがやるものでもなんでもなくて、コミュニティデザインのプロがプロとしてきちんとやるものだという態度です。また山崎さんの手法の前提は、人の善意を期待することではなく、市民の中にある欲望を正確に引き出し、コントロールし、マネジメントすることです。そのことが、これまでのまちづくりと全然違っていて、相当、驚きました。なるほどなあ!と。これまでまちづくりの本で感じていた違和感の理由を一気に解説してもらった感じです。
倉方
でも、そこに建築家としての部分はどう絡んできますか?
建築家としての部分、そう、そこが難しい。
倉方
その関係性というのは、建物がつくれるから、もっと大きなまちもつくれるという単純なものではないかもしれません。例えば建築家として名を成しているから、生活者としての意見が通るということかもしれませんし、建物のディテールを見るような眼がつながってくるのかもしれない。いくつも考えられる関係性の中で、ご自身はどれに一番近いと、今のところは捉えています?
建築家としての意見や視点がまちづくり全体に対してどう生きるかということと、駅周辺という今回の狭い整備範囲の中でどう生きるのかというのは次元が違いますね。まず、まち全体に対して言うと、まちの見方の問題は建築家でもじゅうぶん提案できる思うんですね。まちづくりというと、今までは、結局は美観上の話に始終していた思うんです。また、商業的な賑わいだけが絶対的な指標だったり。ただ、私たちの年代というのは、衰退したような都市を訪れても、意外とこういうようなまちが好きだなという視点ってあるじゃないですか。
倉方
ちょっとやれた感じがいいなとか。
それこそ、OMA以降の世代というのは、ダーティ・リアリズム(※1)的なまなざしが身に付いてしまっているので、まちの多少の衰退はあまり気にならない。どんなまちにでもいいなと思える魅力が結構あって、些細なことを付け足すだけで楽しく暮らせるようになるかもという希望があるじゃないですか。場所や状況の中に魅力をみつけられるかどうかは、想像力の問題であることをOMAなどから叩き込まれているわけだから。恐らく、そうした視点をプロジェクトに盛り込めるのが、私のような世代の建築家が入るメリットなのかと思います。今までの土木コンサルの方々とは全く違う視点なわけです。それは、私そのものの個性ではないけれど、その視点には意味があるだろうと思います。
次に、駅周辺という、今回の整備範囲に関して建築家の職能がどう生かされるかについてです。そうですね、いろいろな事業者がプロジェクトに参加されます。今のところ、最低4つのお金を出すような直接的なステークホルダーが存在する。JR、宮崎交通、市と、県で、さらに他の事業者も想定されています。普通の駅前開発だったら、それらの意見を調整していけばできるんですけれども、今回は、プラス、市民の方々や市民団体も登場します。
今回、特殊なのが、市民のためのスペースを駅周辺になにかしらの形を盛り込みましょうと言っていることです。簡単な例えをいうと、駅舎プラス公民館みたいな、新しいビルディングタイプを駅周辺も含めて全体で作ろうとしているんですよ。それは私のアイディアではなく、延岡市の市民活動の活発さや、市民の方々の意見、そして山崎さんのこれまでの取り組みなどを参照としながら構想されたわけですが、かなり面白いですよね。新しいビルディングタイプを作るというのは大事です。相当な想像力を求められます。機械的に設計をするような人には無理でしょう。ようやく、そこで、建築家という職能が活きてくると思います。新しいビルディングタイプを作るときに、どういうレイアウトがあり得るかとか、ある種の新しい型を提案できる内容だと思います。そこに私の個性がどこに入るのかはまだよくわかりませんが、その辺を冷静にやることで、そんな外れのないプロジェクトにもっていくことはできると思っています。
※1:「スラム」「ルンペン」などの蔑称で呼ばれる資本主義の暗部をリアリズムと して照らし出す概念。L・ルフェーブルがポストモダン建築・都市空間へと適用した。
倉方
乾さんが設計するわけではなくて、建築の前提になる型を作るわけですね?
プログラムと、もしかしたらある程度の型をつくるのかと思います。それを次に来る建築家に、具体的な建築空間へと翻訳していただくわけです。
倉方
それは面白い。普通はプログラムがあって作るわけですけれども、プログラム自体を作るわけですもんね。
そうです、そうです。
倉方
昨年1年間、私は北九州市小倉の大学に在職して、今は大阪にいるわけですが、振り返ってみると乾さんに対する今日のような質問の仕方というのは2、3年前だと考えられなかった。それまでは基本的に、いわゆるアーキテクトの設計した単体の建築をもっとよく理解しようということで、まちというものに対しては意識的に距離をとっていたところがあります。実際、今思えば、東京以外の状況を知りませんでしたしね。
小倉はそこまで衰退していないまちですが、いわゆる地方都市というもの一般に問題がないわけではない。ただ、東京で報道などに接していたり、たまに通り過ぎたりということだけだと、東京以外の場所がねじ曲がって捉えられるきらいがあると最近強く感じます。それがどういうことかというと、農村とか離島とか里山とか、そういった自然の部分は良く語られる。でも他方で、地方都市というのは、何かシャッター商店街とか、特徴が無くなって均質化しただとか、悲惨な面ばかりが強調される。けれど、実際にはネガティブな面ばかりではない。豊かだなと感じるわけです。
例えばシャッター商店街にしても、あれだけ中心部をほったらかしでも生きていけるというのは、きゅうきゅうな東京からしてみれば随分恵まれているといえます。もちろん、だから危機感がなくてまずいともいえるでしょうけど…。
そんな東京以外の都市がもっている良さ、悪さを含めて、再解釈する時に今来ていると思うんですね。そうした時に、乾さんの延岡駅周辺整備への参加というものがあって、今日は是が非でもその辺の話を聞かねばと。
なるほど。
倉方
実際に延岡を訪れて、印象はどうですか?
地方都市にある良さは、本当にそうで、わりとすぐに実感できました。生活を豊かにするアイテムが結構ありますよね。ないのは、歩行者だけなんです。車は道路に沢山通っているから、そういう意味でまちなかに人はいるんですよね。だけど、車の中におさまってしまって、生の人間がみえない。飲食店にはいると、中には意外と人がいるじゃないですか。え。こんなにいるの?みたいな。定食屋入っても「ごめん、今、満杯だから」みたいなことを言われたりして。
そうした、みための街と実感されている街との間にずいぶんな差がある可能性があるので、まちをリサーチしたいと思っているんですよね。どこにどれだけの人が隠れているのかを知りたいのです。まちなかには意外と人がいっぱいいる可能性があると思っています。その人たちがどうすれば歩道にまででてきてくれるのか、そのことをできるかぎり突き止めたいと思っています。まちづくりの目標が、歩道の人を増やすだけだとは思いませんが、やはり、人がまちを歩く姿はまちに不可欠な要素だと思います。
とにかく、頻繁に通うようになって、見た目だけでは分からない部分が出てきたので、ある程度リサーチして、まちを見る視点をつくらないといけないと思っています。
倉方
それはやはり今まである資料とか、こういう問題点がありますよというのではわからない。
現実はちょっとずれていますね。フォーマルなリサーチだと、まちの交通調査とかになっちゃうじゃないですか。人がこれだけ歩いているとか。だけど、もっと違うレベルで、まちの断層を見ていかないと、私たちがほしいと思っている情報が出てこないだろうなと。
倉方
なるほど、そっか。そういうのって、単体の建築を設計する時も同じですよね。敷地の縦が何メートルかとか、何平米という情報では出てこない肌合いみたいなことが大事な与条件になってくる。
そうですね、そうですね。たしかに、そういうのに似ているかもしれません。建築家の方って、それぞれ敷地周辺の土地を認識している自分のスケール、尺度というのがあるじゃないですか、恐らくそれに近いのかもしれない。解釈するツールをつくり、それによって解釈してみるという…。
倉方
そうですよね。その点で、敷地周辺のリサーチというのがあると思うんですけれども、乾さんはこれまでの単体の建築の設計でも、独特な仕方でリサーチを行っているように感じます。それを「量的」ではなく「質的」なリサーチと呼んでしまうのはあまりにもまとめすぎだけれども…。
たしかに、設計はそうですよね。
倉方
単体の建築と、延岡という都市とでは全然規模が違うんだけれども、当然同じ人間がやっているので、それを捉える眼に似た部分が出てきます。それを興味深く感じます。
あぁ。なるほど。
倉方
あまりテクスチャーのようなものとして、まちを見る視点はないですよね、特にプロは。
まちづくりの専門家には少ないかもしれないですよね。だけど建築家はみんな持っていますよ。ヴェンチューリ(※2)を勉強しているわけだから。
※2:ポストモダンの建築家。(1925年6月25日 - )禁欲的に装飾を否定したモダニズム建築を批判し、ポストモダンを提唱した。
倉方
そうですね。あと、最近、「地方都市」というビルディングタイプがまだないと思うんですよ。
ああ、そうか。なるほど。おもしろいですね。
倉方
大都市というタイプはなんとなく想定できます。経済が活性化して、容赦なくビルが建って、観光であれビジネスであれ海外との間で優良な人がたくさん行き来すると。
でも、地方都市が目指すべきなのは、また違うビルディングタイプだと思います。タウンタイプというのかな。そのタイプは、もしかしたら複数あるのかもしれない。でも、個々の都市がすべてばらばらの目標ということではないはずで、それが何を目指せばいいのかがはっきり分かっていないというのが今の根本の問題だと思うんですよ。
地方の都市の目標をどこに設定すべきで、どうであったら成功といえるのか。地方といっても、かつて農業国だった時とも、高度成長期とももはや違うわけですから、それを新たにつくるというのは必要だし、魅力的な作業であるでしょう。大都市の縮小版ではないし、二流版でもない。ただ、住むという機能を果たすだけでもない。大都市とも農村とも違う豊かさが、もっともっと語られ、目指されてもいいと考えるんですけれどね。
その通りだと思います。そうだと思います。
倉方
だから、その前段階を模索するのが今のリサーチ。
確かに。確かに。
それは、駅の周辺だけは今年中にまとめないといけないから、今年一年は本格的に取り組めないかもしれないけれど、最終的なゴールが5年後ですから、その間に何か提出したいですね。
倉方
はじまってまだ数か月ですけれども、まわりの市の方の反応はいかがですか?選んじゃってこんなはずじゃなかったなとか(笑)。
たしかにそう思われているかもしれませんけれども、私たち自身はかなり楽んでやっています。
大島
我々、乾さんの仲間としてはすごく今回のプロジェクトを期待しています。多くの地方都市は人口が減少し、疲弊感が漂っているイメージがある。それを、乾さんみたいな人が地方都市に関わることで、そのまちらしさというか、住んでみたくなるようなまちができるといいなと思っています。
2011年6月5日、乾久美子建築設計事務所にて収録。次回【3】に続く
延岡駅周辺模型
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