建築家インタビュー
西沢立衛
西沢立衛/にしざわ りゅうえ
西沢立衛建築設計事務所
1966年 東京都出身
妹島さんからの影響
——前回は伊東さんから受けた影響についてお話をうかがいましたが、妹島さんからはどういう影響を受けたのでしょうか。
西沢
それはもうすべてですよね。図面の引き方から、建築の考え方から、建築について考えて建てていくことに関してのすべてを、僕は妹島さんのところ以外では学んでいないのです。
——建築家としての振る舞い方みたいなものも?
西沢
たとえば、すごい建築とすごくない建築というのを分けていく場合に、力のある人だったらそれはできる。建築のすごさというのを認知するのは独創的なことです。建築をつくることも独創的なことだけれど、建築のすごさを認知するというのも創造的なことです。妹島さんはこれを、独創的なかたちでやるわけです。そういう線の引き方みたいなことは、猛烈に影響を受けることになりますね。
レム・コールハースとの出会い
——建築を読み解くことのユニークさという意味では、西沢さんの世代ではレム・コールハースの存在も大きかったと思いますが、レムに出会ったのはいつぐらいだったんでしょうか。
西沢
1988年ころ、雑誌で見たのが最初ですね。僕がよく憶えているのは、磯崎さんの、ラ・ヴィレット公園コンペの審査経過の文章です。香港ピークとラ・ヴィレット公園の審査を磯崎さんが立てつづけにやられて、そのレポートだったんですが、それがすごい面白くて、そこでラ・ヴィレットのレムとチュミの案の話が出てきました。レムの案は新しさというか、今までにないような迫力があったんですが、磯崎さんの文章にも惹かれました。新しいムーブメントが出てくることを鋭くつかんでいて、たぶん磯崎さんの文章にも相当影響されたと思います。そういう意味では、当時僕にとっては、レムと磯崎さんというのは僕の中ではけっこうつながっていましたね。そのあと1989年になって、フランス国立図書館、あとカールスルーエのZKM(カールスルーエ・メディア・テクノロジー・アート・センター)と、いくつかのコンペ案が世に出てきて、そういうものに僕も含めてみんなすごく影響を受けた。同時にまたレムは展覧会や出版も精力的にやりました。
——レムはメディアの使い方がうまいですよね。
西沢
うまいし、なにか人間的だったんですよね。人間の肉声を人々に届かせるというのか、自分の言葉というものを広めていくということを、メディアを通してわっとやれる人だった。さっき言った、すごいこととすごくないことの線の引き方がすごく伝わってきて、レムという人間の価値観がダイレクトに伝わってきて、多くの人が影響を受けた。作品に影響を受けたわけではないと思いますね。作品は出来てなかったので。
むしろ言葉や価値観に興味があった
——学生時代は伊東さんと妹島さんのところへアルバイトに行かれて、就職で妹島事務所を選んだというのは?
西沢
それは、妹島事務所というのは当時はほとんど妹島さん一人で、妹島さんと毎日議論をして、建築の創造のすべてに関われるという、それですよね。
——事務所の規模から建築家とダイレクトに触れ合えると。
西沢
そうです。僕は元々、どちらかというと建築家、人間に興味があったのかもしれません。作品よりもむしろ言葉や価値観に興味があったんだと思うんですよね。レムにしても伊東さんにしても妹島さんにしても、建築は人間の価値観や個性にダイレクトにつながるものだという感じだったので、そういう意味では当時の僕には、大企業の建築っていうのは特徴がないように見えて、よく分からなかったのです。
——建築についてその人がどう考えているかだけではなく……。
西沢
だけではなくて、その人のスタイルや思想、価値観ということに興味があったと思います。生き方みたいなものですね。建築的な人間というのは、建築的な部分と生き方的な部分が分けられない。建築家というのは職業でもあるけど、存在なんですよね。ウィークデイは建築家をやるけど土日は違う、ということではないのです。いつも建築家で、何を考えるにしても建築的、空間的に考えるような人々なのです。僕はそういう建築家という人々に興味があったし、影響を受けたので、就職するにあたって伊東さんか妹島さんのどちらかということで、規模的なことで妹島さんのところに行きました。妹島さんは、今もすごい人ですが、当時の妹島さんは迫力があった。この人はいずれ出てくるという感じ、爆発寸前の爆弾みたいな感じでした。
——当時はファッションも爆発していたそうですね。
西沢
そうですね。でもコム・デ・ギャルソンというよりは、むしろもうちょっとストリート系だったような気がしますね……アラビアンナイトみたいなすごい格好とか、中国だかヨーロッパだかよくわからないようなものとか、当時の妹島さんは黒い格好していませんでしたね。
——学生時代からすごい方々と接して建築について考え始められたわけですが、建築ってほんとに面白いなあと開眼したきっかけみたいなものはあったんですか。
西沢
何度も建築に驚かされ、感動したと思いますが、まあ、徐々に、自分の人生にとって建築が問題になっていったんでしょうね。一発でどうなるってことじゃないと思います。もちろん、妹島さんとの出会いは大きかったし、伊東さんやレムやル・コルビュジエ、ミースというのはたいへん大きかったと思います。もちろんそれ以外にも、身近な人、友人とか、見に行った建築とか、いろいろなことに大きな影響を受けました。
——そういう方たちとの出会いを通して知らないうちにどっぷり建築の世界に入っていったということですね。
西沢
そうですね。いろんなチャンスがあったと思いますね。
船橋アパートメント, 2004
外観
設計=西沢立衛建築設計事務所
©Jin Hosoya
船橋アパートメント, 2004
内観
設計=西沢立衛建築設計事務所
©Jin Hosoya
金沢21世紀美術館, 2004
外観
設計=SANAA
©SANAA
金沢21世紀美術館, 2004
内観
設計=SANAA
©SANAA
企業情報 このサイトについて プライバシーポリシー