住宅産業はこれからどうあるべきか
難波
大変興味深く拝聴しました。箱の家に似ているけど、古谷さんの方が上手いなと思いました。最初の各地の伝統的な家の話は、1960年代にMOMAで開催された「建築家なしの建築家」展で取り上げられたような、ヴァナキュラーな建築を思い出しました。モダンデザインに対する対抗案の方向には二つあって、ひとつは地域性、もう一つは無名性・匿名性。そう言う意味では工業化と少し似ている側面があって、誰がつくったか分からないけど、それがみんなに受け入れられて連綿と続いて行く。そう考えると、「イームズ・ハウス」がまさに古谷さんの言う衣服のような建築だなと思います。イームズのすごく良いところは、住み手夫婦の好きな物で家を埋め尽くしていて、ほとんど建築なのか物なのかわからない。ある種生活空間として理想的な状態で、僕もできればそうありたいと思っています。だから古谷さんが狙っているのは、日本の気候はきついので、軽い皮膜を何重にもしてコントロールするほうが良いのではないか、というのはすごいヒントだと思います。
ちょっと唐突ですが、古谷さんの話から西沢大良さんの駿府教会を思い出しました。日本の在来木造の壁を見ると、内装、断熱、軸組が何重かになっているのを一枚にしているけど、それを全部拡げて厚くしたような教会です。あれは壁厚を拡げたといえる。彼自身は日本の在来構法からヒントを得て脱構築したんだ、ということを言っていて、面白いこと言うなと思ったんですが、それは在来木造に限らずどんな構法にも応用可能だという話を古谷さんはされたのではないか。最近の工業化住宅ってヘビーじゃないですか、それを何重にも分解して軽くするという方向はひとつあるのではないかと。
門脇
たしかに在来木造の住宅の外壁は非常に複雑な何層ものレイヤーでできています。西沢さんがおっしゃっていたのは、なぜそうした何層ものレイヤーになっているかというと、さまざまな人が事後的に工夫を積み重ね、どんどん上書きした結果である、ということですね。つまり在来木造の外壁には、あまたの人々の知恵が集積されている、ということです。
このことを念頭に置くと、古谷先生のお話は、職人や設計者などといったプロが様々に工夫をしたものが積み重ねられたレイヤーに加えて、さらにそこには住まう人や環境さえもがレイヤーを積み重ねる余地がある、というようにも聞こえてきます。それは非常に軽い皮膜が何重にも重なり、環境と内部とが溶けていってしまうような住宅のイメージになるんじゃないか。
自由な工業化という幻想
難波
もう一つ付け加えさせてください。工業化を進める人への最大の疑問は、そこで出来上がる空間や生活がどうなるかということを敢えて問わないところです。自由にデザインするために工業化するという言い方をします。どんな要求にも応えられるように自由な工業化を目指すと。それが根本的な間違いだと思うのです。自由な工業化なんて絶対あり得ないんです。そこを吹っ切った方がいい。これはジョージ・ネルソン(50年代イームズと同世代の建築家、家具デザイナー)が到達した結論なんですよね。彼は徹底したシステム化をやって、あるとき止めました。ヴィトラのカタログを読むと「プランニング・ウィズ・ユー」というコンセプトが出てきます。ユーというのはクライアントです。そこでの彼の結論は、クライアントは自由にプランニングできないということです。フリーになるようにいくら設計者が頑張っても、クライアントはアドバイスを求めてくる。それも建築家の仕事で、工業化イコール自由な設計という幻想を捨てた方がいい。
古谷
原型となるニュートラルなプランがあり、その上に自由な生活が展開できるというモダニズムの当初からある考え方がありますが、それでは「家」はつくれないと考えた方が良い。無限にニュートラルなものをつくって、使われ方や住み方は放っておくという考えを逆転したらどうですか?と今、難波さんはおっしゃっているわけです。その逆転をイメージするのにすごくいい方法が、家を家族の衣服であると捉えてみることです。 にも既製品はたくさんありますよね。既製品の服でも着る人の体系も顔かたちによって違った物として成立するところが服の面白さです。一番分かりやすい例は三宅一生さんの「プリーツ・プリーズ」を思い出せば良いですが、あれは全く同じパターンでできていても、着る人の体型で全然違う姿になります。家も着る人の家族像や住まい方によって、その家を着てもらうと全然違う家になるというように考えた方がいい。もはやそれは堅牢な骨格があって、その中を住み手が自由につくっていくということでもなくて、家そのものがもう少し柔らかいもので、住まい手に被せてみると全然違った物になるという発想をするといいんじゃないか。
門脇
一方で、それはかなり「強い」住まい手を要求しますよね。公共の住宅やハウスメーカーがニュートラルなものだけをつくろうとしてきたかと言えば必ずしもそうではなくて、居住者の意見を反映させた自由な間取りをつくるということに関して、工業化住宅は在来木造住宅に実は劣っていた。したがって、居住者の好みを反映させるという点では在来木造にかなわないという問題が80年代頃に出てくるわけですけど、そのときハウスメーカーがとった戦略は、徹底的にマーケティングをしてプランを練り上げるというものでした。つまり、ある家族像を想定した住まい方、ライフスタイルそれ自体を商品として提供する、商品化住宅という考え方が生まれるのです。この戦略は大いに成功したわけですが、この成功は、住まい手側に必ずしも明確な生活イメージがあるわけではないことを物語っているように思えます。誰しもが「強い」住まい手ではないということですね。一方で難波先生は、どちらかといえば強い住み手ではない居住者像を想定されて住まいづくりに取り組まれてきたのではないでしょうか。
難波
「箱の家」のシリーズをはじめた頃に、積水ハウスの太田博信さんという設計部長の仕掛人が毎回オープンハウスに来てくれて、その流れでレクチャーに招かれたことがありました。その時に見せられたのは80年代の顧客層を想定した、プランとライフスタイルのマトリクスでした。ライフスタイルや家族像を設定して、それに基づいて工業化システムを進めるための方策です。一方、「箱の家」の場合は、箱型や標準化やメンテナンスフリーといった提案をこちらがして、それを認める人がお施主さんになる。その反応が少なかったら失敗ですが、それなりに需要があるので成り立っています。
アルミを使って実験住宅をつくる経産省のプロジェクトやっていた頃に考えていたのは、もちろん断熱などの技術的な問題はあるんだけど、それ以上に当然そこに住まうであろう家族像とか、アルミが好きそうな人はどんな人なのかとか、そういうことを想像しながらやっていました。空間やライフスタイルを提案するなら、それがどう生産の仕組みにフィードバックするかを考えるのが我々建築家の仕事です。だから逆なんですよ。つくり方から住まい方ではなくて、住まい方からつくり方へフィードバックする。それが工業化をめざす建築家やハウスメーカーの考えの中にはなくて、どうやらタブーになっている。それは売るためでしょうけど逆効果だと思います。70年代は団塊世代がみんな同じような生活してたからいいけど、これからはそうじゃないでしょう。
古谷
さっきの門脇さんが強いクライアントとおっしゃいましたが、「プリーツ・プリーズ」は世界中で全然強くない人が着ているんですよ。つまり量産されている服なんですね。確かにファッションショーに出てくるような物を着こなすのは強いクライアントかもしれないけど、世界中どこでも売っているあのプリーツはそうじゃない。そこに重要なポイントがあって、既製品をつくる側が、いろんな人に着てもらうという発想でモデルをつくる必要がある。なぜかというと、ハウスメーカーにも色んな会社があるからです。これが世界中に一社しかなければ話は違うんですが、各社が個性をださなければならない。コストダウンを計って高性能高機能なものをリーズナブルな価格で提供するだけでは、それぞれの存在意義がだんだん薄れてしまう。けれどこれだけあるハウスメーカーがそれぞれに個性を持って次なる戦略を練ろうとすると、着ている姿はみんな違うけれど世界中で誰が着てもイッセイのプリーツだと分かるような、ブランド性と量産性の上でマーケットに乗っている中に、メーカー側が着眼点を据える必要があるのではないか。
ハウスメーカーガ持つべき個性
門脇
確かに古谷先生がおっしゃったところにハウスメーカーが抱えているひとつの問題があるように思います。ハウスメーカーの黎明期には、各社が扱っている製品の種類は非常に限られていました。そこでハウスメーカーが初期にとった戦略は、優秀なセールスマンを他業界から呼び込んで、一つ一つの商品の魅力をきちんと伝えて、売ってもらうということでした。ところが80年代にマーケティングの世界になると、商品の数は増えていくことになります。かつ、ハウスメーカーが大きくなって自社の中に商品開発部ができると、その部署は商品をつくることが仕事ですから、需要とはあまり関係なく、なかば自動的にどんどん商品が増える。そうなるとセールスマンが自社の製品を覚えきれないという事態が発生します。つまりハウスメーカーの商品が識別性を保てなくなり、全て一緒に見えてくる。その状況は、もはや商品の内容自体では顧客を引きつけられないことを意味していますから、価格や性能のような一元的な価値のみでしか商品を差別化できなくなる。こうなると、業界は価格競争、あるいは性能競争に向かいます。おそらくそれが今のハウスメーカーが直面している難しい局面なのだと思います。
そのような状況において、古谷先生がおっしゃっていたことは非常に示唆的です。僕には、性能や価格ばかりではなく、ある程度生活を先導するようなモデルをつくり、それがこのメーカーの売りです、と積極的にいうことがハウスメーカーに必要である、というお話に聞こえました。「どんな生活の器でもつくれます」という姿勢から、「こういう生活こそ望ましい生活です」と明確にプレゼンテーションする姿勢への転換、ということですね。「プリーツ・プリーズ」は、やはりある特定の趣味志向を持った層が買う服だと思うんですが、しかしそれは今までになかった服で新しい顧客を掘り起こしたと言えるはずで、同じことが、ハウスメーカーにもできるのかもしれません。
古谷
住宅メーカーがそれぞれ出自もあるし、いろいろなところで構法や考え方に一応の個性があるとは思います。でもその一応の個性が今は全般的にハウスメーカーの住宅とひとくくりになるくらいの個性でしかない。ここから先に何か考えて行くとすると、それぞれの会社が持っている系列企業のノウハウや特殊性を活かすと、商品としての住宅にそれぞれのメーカーが最も得意とするものが見いだせるのではないか、というように思います。各企業がもっている固有の資源や長所をしっかり商品に反映させて行こう、ということなんです。
難波
「箱の家」と「MUJI HOUSE」は似てますよね。どう使い分けてるんですか?と良く聞かれます。「MUJI HOUSE」のシステムメンテナンスを毎年やっていた初期の頃は、「箱の家」は注文的につくり「MUJI HOUSE」は徹底的に工業製品化を目指していました。外壁の断熱パネルも開発したんですが、いくらやってもコストが安くならない。それで現在はどうなっているかと言うと、在来構法みたいになっています(笑)。もう最近の「縦の家」なんて伝統工法に近い、左官使ってるし。初心を完全に忘れてる。まあ初心は僕が勝手に持っていたので売れれば良いんですけど、それだと悔しいので、今は「箱の家」を徹底的に工業化する方向に切り替えました。それでニチハといっしょに外装パネルを開発したりしても、それでも全然安くなんない。要するに一発で仕上げまでできるのに安くならない。これは日本の建設費のあり方、もっと具体的に言えば大工の工賃がすごく虐げられていることが根本的な理由です。だから逆に全ての工事を大工でやれば安くなる。だから大工の工賃を上げないといけないと思いますね。そうしないと本当の工業化は進まないでしょう。そのしわ寄せがそろそろ限界にきていると思うし、じわじわと変わってきていると思います。そもそも大工になる人がもういないんだから。だから僕はハウスメーカーに頑張ってもらいたい。部品化しつつ安くする方法があるはずなんですよね。ミサワホームは結構がんばってると思う(笑)。プランニングを最近よく頑張っているん。いずれにせよ、今は生産コストの問題が非常に重要です。
大島
工業化住宅というと当初は安く供給するというのが目的だったんですが、建築家との相見積になった場合、逆に建築家の方が安くなるということが多々あります。大工さんが協力してくれるんですね。工業化住宅というのはある程度値段が決まっている物ですから、どう頑張っても安くならない。そういう逆転現象が今起きていて、しかもその規格住宅に満足する顧客がいればいいんですが、なかなか苦しい状況です。そうなると、性能しかハウスメーカーの良さはないにも関わらず差別化をして行かなきゃ行けないという矛盾があるように感じています。

次回[4]へ続く。
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