イベントレポート
■講座趣旨:

建築家と小説家の対話
どちらが想像力があるか?
柴崎友香さんは、小説家でありながら、写真が好きで、街へ出かけていって、街の風景を撮る。その切り取り方は、実に巧妙で小説的だ。
また、建築家の島田陽さんは、既成の建築のイメージを打ち破って、実にメルヘンだったり、ハイブリッドだったり、夢をかなえてくれる。その手法は、神がかり的だ。
ふたりとも、ごくごく平静な顔をして、淡々と語る。二人の罠にはまれば、理想の国へ連れて行ってもらえる。
ぜひ、二人の世界へ。

Aプロジェクト
大島 滋




■日時:2014年4月25日(金) 19:00〜21:00
■場所: 近鉄堂島ビル13F 大阪市北区堂島2-2-2
■主催/協賛:ミサワホーム近畿(株)/ミサワホーム(株)
■企画・監修:大島滋(Aプロジェクト室)
リーフレット
 
■出席者略歴

島田陽(しまだ よう)
1972年神戸市生まれ。建築家。1997年京都市立芸術大学大学院修了後、タトアーキテクツ/島田陽建築設計事務所設立。現在、京都市立芸術大学/神戸大学/神戸芸術工科大学/広島工業大学 非常勤講師。著書に7iP #4 YO SHIMADA/ニューハウス出版。「六甲の住居」で第29回吉岡賞、LIXILデザインコンテスト2012金賞など受賞。主な作品に「西脇の集会所」「比叡平の住居」「六甲の住居」「おおきな曲面のある小屋」など。

柴崎友香(しばさき ともか)
1973年大阪生まれ。小説家。大阪府立大学総合科学部卒業(人文地理学専攻)。2000年「きょうのできごと」でデビュー(同作は2003年に映画化)。2007年「その街の今は」で芸術選奨文部科学大臣新人賞、織田作之助賞大賞など、2010年「寝ても覚めても」で野間文芸新人賞受賞。主な著書に「わたしがいなかった街で」「ショートカット」エッセイ集「よそ見津々」「よう知らんけど日記」など。2014年「春の庭」で芥川賞受賞。

山崎泰寛(やまさき やすひろ)
1975年島根県出身。編集者。1998年横浜国立大学教育学部卒業。2006年京都大学大学院教育学研究科修了。2007-2012年建築ジャーナル編集部。2013年京都工芸繊維大学大学院博士後期課程修了。博士(学術)。現在、京都工芸繊維大学事務局特任専門職。主な活動にメディアプロジェクト〈ROUNDABOUT JOURNAL〉。編著書に『リアル・アノニマスデザイン ネットワーク時代の建築・デザイン・メディア』(共編著、学芸出版社、2013年)

1つのものを2つ以上の見方で考えるということ
大島滋
Aプロジェクト
先ほど、あべのハルカスに行ってみると、平日なのにとてもにぎわっていました。嬉しかったのは、来場した人たちがみんなうれしそうにしていたことです。建築で人を幸せにできるのを久しぶりに見た気がしました。
 われわれミサワホームのAプロジェクトでは、建築の楽しさや魅力を一人でも多くの人にお伝えしたいと考えています。建築家とコラボレーションすることで新しい建築の可能性を探りつつ住まいのあり方を提案してきました。
 大阪での第1回のシンポジウムは、今建築界でもっとも人気のある島田陽さんと小説家の柴崎友香さんをお招きしました。
 島田さんの建築はクライアントの生活を丹念に読み解きながら、住むこととはどういうことか、暮らしとは何かという問いに答えています。軽やかで心地よい、現代の住宅です。
 次に島田さんとの対話の相手を探してみると、私の周りにはなぜか小説家の柴崎友香さんを推す声が多かった。小説を読んでみると、時間の経過や文化の蓄積が感じられることに興味がおありで、きっと面白いお話が聞けるだろうと期待が膨らみました。
 そして、このお二人を繋げられるのは、建築的素養と文学的素養を併せもつ人だと考えて、山崎泰寛さんにお願いしました。彼は編集者というよりも学者に近く、社会性が大丈夫かと心配しましたが、今回の対話のために骨を折ってくれました。
 このように多くの知人の協力によって、大阪の第一回シンポジウムを開催できることをうれしく、ありがたく思っています。今夜来場された皆さまにとって、来てよかったと思えるシンポジウムになればうれしいです。ではよろしくお願いします。
山崎
編集者の山崎泰寛です。これまで島田さんの建築を見せていただいて、細かな家具や設えが、絶妙な距離感で収まっていると感じてきました。一方で柴崎さんの小説を読んでいると、ある瞬間にふと、自分自身が物語の中で人物や町を眺めているような気がしていることに気付かされました。そこで今日はお二人に、どんな空間や場面を描こうとしているのか、場所に対してどんな眼差しをお持ちなのかをお話いただきたいと考えています。よろしくお願いします。

階段の家具化
島田
僕が一番最初に設計したもの、それは名刺です。事務所を立ち上げた17年ほど前のことです。レシートの形式を借りたグラフィックにすることで、名刺の堅苦しさが違う見え方になってほしいと考えたからです。
1つのものが2通り、あるいは何通りにでも見えるということが、僕がいつも大事にしていることです。事務所名のタトアーキテクツも、見方を変えると「外」アーキテクツとも読めるようになっています(笑)。

名刺(撮影:島田陽)
 
2005年ぐらいに、家具のような階段のようなものを考え始めました。その時はうまく消化できず、その後に両親の家(「北野町の住居」)で、入り口にテーブルのような階段のようなものをつくることになりました。実はこの時に山崎さんが住宅を見に来られて、物が置かれたがっているような空間だと言われて、我が意を得たりと勇気づけられました。

北野町の住居2(撮影:繁田愉)
 
僕はいつも建築のスケールを操作して、建物の大きさを分からなくしてしまうのですが、たとえば、平屋の小屋のスケールを1.7倍くらいに大きくすると、2階建てなのに家がすごく小さく見える。窓辺に人が立つと急に建物が大きく見えたり。見た目に関わる要素の中で、窓は本来の役割と関係なくスケールを操作できるんですね。
 逆に階段はヒューマンスケールなものです。どうしても人の歩幅に抑えられてしまう。そこで、階段は家具に近づける方が良いと考え始めました。手でも足でも、触れるようなものだからです。手すりが洗面台や机でもあるように作って、各々の仕上げを変えたりする。そうやって物が置かれたがっているような空間を作りたい。もっと言うと、物が置かれれば置かれるほど空間が抽象的になっていくような空間を作れないだろうかと考えています。マンガ1冊で台なしになるような空間じゃなくてね。収納や階段を壁(建築)に一体化させて隠してしまうと、住民も持ち物も建築に奉仕させられてしまう。そんなことはしたくない。
 だから僕は、人間のスケールに近いものを家具化することで、住民が物を持ち込めば持ち込むほど空間が浮かび上がってくるような建築をつくれないだろうかと考えました。収納を梱包箱のように作る。あるいは手すりを机のようにつくる、といった具合です。
山崎
では実際にどうされたんでしょうか?
島田
イスとして使われているイスには違う用途がありえたのではないか? という考え方をより発展させたのが伊丹の住居です。ここではボリュームとスラブだけが固定されており、ほとんどの物を動かせるようにしました。家具階段もようやく実現しました。

伊丹の住居(撮影:鳥村鋼一)
 
家具階段は間仕切りでもあり、洗濯機の収納であり、扉を開けると脱衣室が表れるという狭小住宅特有のアイデアの集積です。こうすることによって住民が持ってきた物と混ざり、空間の構成だけが屹立するような、持ち物と建築がフラットに対応しないかなと考えていました。

伊丹の住居(撮影:鳥村鋼一)
 
建物の真ん中に階段を通して、その左右に機能を振り分けるやり方ではなく、階段を細かくばら撒いています。階段の向きって、自分が空間を体験する方向を決めるんですね。日本庭園は石が微妙な傾きに並べられていて、実は鑑賞者は体の向きをコントロールされています。

 六甲の住居から瀬戸内海が見えるのですが、目の前には下町のような風景が広がっていて、その向こうに都市的なビル群があって、工場街が見えて、海が見えて、背後には山が見える。それら一切が混沌として1つの風景をなすような、それぞれが際立つようなことをできないかなと思っていました。ここでは、一切隠さずに何もかもが見えていて、そこに住民の持ち物がばら撒かれている。これは、僕が作りたかった風景に繋がるのではないかと思っています。
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