イベントレポート
Aプロジェクトシンポジウム
「時間がよびさます建築」イベントレポートー【3】
清水重敦問題提起
清水
突然変な話をさせていただきます。「文化的景観について」という話を今日は持ってまいりました。なぜこの話をするかと言うと今回お二人の建築家の話を聞くにあたって、私なりに勉強をしてみたところ、この二人のやっていることはまさに文化的景観ではないかと思いました。これは最近私が主に取り組んでいることなんですけども、この方面から二人にアプローチすると少し変わった話が聞けるのではないかということで今日はこの話を設定しました。



これは茶畑です。今私はこの茶畑の景観を世界遺産にしようと一生懸命取り組んでいます。私自身は建築家ではなくて、建築史とか文化遺産の保存というのをやっていますけど、それにしてもこの写真には真ん中の小屋ぐらいしか建築がないんですよね。これを何で建築史の人がやってるのかということは話せば長くなるんですけど、今日の私の内容全体を見て感じていただければと思います。

文化的景観とは何か。例えば、世界文化遺産になっているフィリピンにある棚田などが挙げられます。人間が自然に働きかけて、―― 働きかけると言っても意識的に働きかけるのではないのですが、そこで生活するぐらいのことをして ―― その結果出来上がった景観というのは、人間の歴史も文化も刻まれていてとてつもない価値を持っています。ところが耕作を止めてしまう、アクティビティが止まってしまうと、この景観は途端に崩れてしまいます。ですからアクティビティを継続させないとこの景観は守れません。要するに人間が耕作を続けながら景観を守っているということに強い価値を感じていて、世界中でこういったものに価値づけをしていこうということが文化的景観の狙いです。

例えばフランスのボルドー地方のサンテミリオンなども文化的景観の代表例です。ここの場所のブドウだけを使ってワインを作っていて、案外ボルドーでは珍しいとこなんですけども、畑自体がとても美しいのです。こういう景観というのは、美しく作ったわけではなくて、美味しいぶどうを作ろうとしてこうなったものなのです。こういうものを文化的景観と呼びます。世界遺産の方では「人間と自然の共同作品」という言い方をしています。今私はこういうものを日本で保護したり活用したりすることに取り組んでいるんですけど、今日のお二人の建築を見ていると、これの建築版あるいは都市版をやられているような気がしてなりませんでした。
簡単に説明すると、この文化的景観というのは世界遺産の枠から出てきたものなんですけども、世界遺産というのは自然遺産と文化遺産から成り立っています。ちょうど中間的なものがいくつか挙げられるので、複合遺産というのを作っていたんですけども、その複合遺産というのが中途半端というかもうちょっと分かりやすい名前を付けて行こうとしてできたのが文化的景観というものです。つまり自然と文化の中間ということになるんですね。

例えばプランテーション農園跡やウルル=カタ・ジュタ(エアーズロック)などが挙げられます。プランテーション農園のように、庭園や都市計画の範囲にもあって、かつて農園なんだけど、今なくなっちゃってるところとか、ウルル=カタ・ジュタとかは自然遺産じゃないのかと思うんですが、信仰の対象になることで意味を発生した場所などこういったものが文化的景観になっています。
文化的景観って、結局景観だったら何でも文化的景観になるわけではなくて、ある一定の価値を持ってるものでないと文化的景観とは呼べない、評価できないというのがあります。例えばレマン湖の絵画に表されているものにも示されています。

スイスのレマン湖の風景が描かれたものなのですが、この絵に描かれているものっていうのは、畑、山、川、湖、空などや、あるいは人が生活する家などが挙げられます。よく見ると、これらはバラバラに存在してるんじゃなくてお互いに関係を持ちながら、実は存在している。山から流れた水が畑の間を流れて、養分を吸収して湖に流れ込む。また、魚がそこに繁殖してそれを人が獲って食べる、そして人が住む家がある。いろんな要素が多様に存在しながら、互いに関係をもって一つのまとまりをつくっている。これが景観だという風に考える、ここに価値があると考えることに意味があると説明されています。
今日平田さんの話を聞いた時に 自然の階層構造というのはまさにこれであるという風に思いました。ですのでこの文化的景観の捉え方というのは、平田さんのお話にあった階層構造の話に通じるし、いろんな要素が関係をもって一つのまとまりをつくるということは西澤さんがやられてる仕事とも似ているという風に思っている次第です。それでこのことを建築家の方々がそれぞれ自分たちの作品の中で非常に論理的に説明されているわけですけども、我々のような文化遺産の分野では、どういうところに注目して取り組んでいるのかということを話させていただきます。



まず文化的景観の価値というのがあるんですけども、文化的景観というのは建築と違う性格を持っているところがあります。それは自然要素が入ってるところですね。自然の要素というのは建築と違って勝手に変わっていきます。建築も時間の中で少しずつ変わるんですけども、それよりも大きく変わります。人間が手を加えるから変わるのではなくて勝手に変わっていくんです。さらに人間が手を加えることでも変わります。変わるということは、気がつくと違う景観になっているということなんですけども、大きく見ると変わっていなくて、変わっているのに全体としてはなんとなくアイデンティティを保っている。このことが自然景観や生態系の面白さだと思うんですけども、普通の文化遺産というのは、Authenticityという概念を非常に大事にします。今日西澤さんの中に可逆性という話がありましたけども、あるものが本物であるかどうかということを非常に大事にして、その価値を測らなければなりません。可逆性というのはそこに少し関係性があるのではないかなと思いました。
文化遺産というのはAuthenticityを、つまり本物性があるのかないのかということをとても大事にするんですけども、文化的景観はそれだけではありません。常に変わっているもの、入れ替わってるものが本物かどうかなんて言えるわけがなくて、むしろ本物じゃないかもしれない、 物としては何も残らなかったり、どんどん更新されていったりします。ところが更新されているのになぜか全体性を保っていて、そういうことを評価する概念としてIntegrityという概念を使います。これは「全体的に分割されていない状態」という風に辞書で書かれていて、日本語にはなかなかならないんですけど、統合性とか一体性とか全体性とか言ったりします。文化的景観はこの二つの概念で成り立っています。

私は最近この概念を建築や都市の分野に輸出してあげると、おもしろいことが見えてくるんじゃないかというふうに思っています。この変わっているのに変わらないというのは、例えば、近江八幡の琵琶湖の周りにある内湖に見られます。近江八幡の内湖と言うのは、葦簀(よしず)の材料となる葦がいっぱい生えているところです。葦がいっぱい生えてるところを葦原と言いますけども 、今でもこれを切って葦簀の材料に使っています。この葦原の中で、ある長期間続いた葦原、ある時なくなっちゃった葦原、その後に発生した葦原というののを分布を調べたデータがあります。その過去50年ぐらいの統計を調べたところ、分布の場所がずっと変わるんだけども、総面積は変わらないらしいです。これはまさに文化的景観であるという風に私は感じています。この変わっているのに変わらないというこの仕組みが、都市とか建築に応用できるとものすごいおもしろいことができるんじゃないかというふうに思っています。



2004年に日本は文化財保護法という一番ギチギチに硬い法律において文化的景観という制度を作りました。それで今西澤さんが取り組まれている京都市美術館の一体の岡崎公園というところも実は文化的景観の文化財になっているんですね。日本の文化財保護法というのは農村部にだけでなくて、こういう都市部も文化的景観の対象にしてきていて、まさにこれからこういう都市を文化的景観として読み解く、そしてその価値をいかに繋ぐべきかということを考えなければいけない と思ってるんですけど、これがとても難しいです。文化財の保護というのは今までは保っておけばよかったんですね。ところが文化的景観の場合は、守りながら新しいものをつくっていかなければいけないですね。これははっきり言って文化財側には全く方法論がなくて、これからデザイナーや建築家の人たちと一緒にどう景観をつくっていくかということを一緒に考えていかなければいけない状況に直面しています。



アメリカのニューヨークの例ですけども、行ってみるとこういうものについて非常に意識的に取り組んでいるというのが見られます。マンハッタンのニューヨークの SOHO というところですけども、ニューヨークって実はマンハッタンの中に51個の町並み保存地区があるんですね。あんなにいっぱい建てているのに51箇所もあるんです。51箇所の町並み保存地区があって、建物を新築する時にはどのように新築するかというと、町並み保存地区というところはガチガチにルールが決められて、アメリカの場合は古い様式を借りてはいけないというのがあります。これはジャンヌーベルが設計したもので、これが合ってるのかどうか分かりませんけど、面白い例だとは思っています。こういう取り組みがかなり進んでいて、全部ひっくるめてある分野ではインフィルビルディング(埋め込み建築)と呼ばれています。ある既存の文脈の中に何かを埋め込まなければいけないんですけど、形としてそのまま既存の文脈を借りてはいけません、というのがあるんです。そこに新しいものを入れるのはどういうデザインで応えればいいのか、という風にして建築家が非常に必死になって取り組んでいます。アメリカの場合は、これはどちらかというと、町並み保存地区のゾーンの既存の形のルールを抽象化して建築家がデザインし直しているということだと思うんですけど、これをプログラムの問題あるいは地域性の問題、歴史の問題、生態系の問題、全て含み込んでやれば、建築の形として面白くなるんじゃないかなと思うわけです。
私は今日お話を頂いた二人の建築家の方は、そういう試みということでそれぞれに答えを出しているのではないかなという風に感じました。私からは以上です。

※特記なき写真はすべて清水氏より提供
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