<吉村さんプレゼンテーション>

都市の文脈と交流する建築
吉村
私は、1972年愛知県豊田市生まれで、出荷を待つトヨタ車が何百台何千台と並んでいる駐車場が原風景です。ちょうどトヨタホームがトラックの荷台に住宅の一室をまるごと乗っけて街のなかを走らせはじめた、まさにその時期に出荷現場である豊田市にいたので、その姿に大きな衝撃を受けました。今、住宅を複製することに強い興味を抱いている少数派の建築家になったのは、そういう経験も影響していると思っています。そこを見込んで今日ここに呼んでもらったのだと思います。
私は研究者ではないので、松村先生が先ほどお話になった「箱」の産業から「場」の産業へという話をまな板に、その上の鯉のような気分で、私自身が今取り組んでいる実例を中心にお話したいと思います。
最初は「箱」の産業側、住宅の工業化についてです。工業化あるいはプレハブ化のメリットとは何だろうといろいろデータをあたってみました。ひとつは短工期で引き渡しできるということだろうと考え、どれくらい工事期間が違うか調べてみました。するとだいたい平均的な住宅よりプレハブの住宅のほうが一ヶ月くらい短いことがわかる。でも正直このデータを見たとき「あれ、一ヶ月くらいしか変わらないんだ」と拍子抜けしてしまいました。工場でつくっている期間がそこに含まれていないとすると、実際はほぼ同じくらいの時間をかけてつくられていることになるからです。


<スライド1>

次にコストを坪単価で比べてみると、全住宅平均よりプレハブ住宅のほうが高いこともわかりました。つまり工業化住宅は、工業化によって量産効果を得て、早く安くするためにつくられているのではもはやない。どちらかというと、安心、安全、高機能というところに惹かれ、高いものでも買うという感覚の消費者をつかまえているんだと思います。それはまさしく松村先生もおっしゃっていたように、企業化や大規模化のメリットです。工業化のメリットとは少しニュアンスが違う。実は、建物のフィジカルな面はそんなに変わらないとも言える。そもそも在来工法の住宅であっても、字義通りの工業化はすでに達成されているのではないかと私自身は考えています。建設現場に行けば一目瞭然ですが、昨今の工事は工場から送られてくる宅急便がなければ成り立たない。住宅現場はとっくに工業製品で占められていて、それは建築家の現場であってもハウスメーカーの現場であってもあまり変わらない。昔は現場でやっていたことが今は工場生産になっている、それらを全部ひっくるめて工業化と言ってもいいのではないかと思うのです。たとえばプラスターボードなどは、超高層でも在来工法でも同じ規格の工業製品が使用されます。膨大な量で、かつ完全に枯れた技術です。工業化や規格化ではスケールメリットはほとんど出ないでしょう。


<スライド2>

プレファブからポストファブへ
吉村
「ポストファブ」というのは私の造語です。現場へ運ぶ前にできる限り工場生産する「プレファブ」時代から、現場へ運んだ後にできるだけつくる「ポストファブ」時代になりつつあるのではないかという仮説。デジタルファブリケーションの浸透で、現場で部品からつくり始めることが可能になったり、あるいは、部品を経由せず直接建物を出力するようなことも可能になりつつあります。3Dプリンターで住宅をつくったり、橋をつくったり、そういうことがすでにアメリカやヨーロッパではおこなわれニュースになっています。今は駆け出しの技術ですが、いずれ日本でも無視できない技術になると思います。そういった技術との相乗効果でニーズが少量多品種に傾けば、ハウスメーカーも建築家と同じジレンマに直面するでしょう。今後はハウスメーカーもそういったニーズ付き合っていかなければならなくなるはずです。


<スライド3>

そして、そこには建築家の側からアプローチするチャンスもあるはずだと考えて、5-6年前に「CCハウス」展を開催しました。Creative Commonsというオープンソースのライセンスを活用して、上書き可能な建築の図面を配布するプロジェクトの展示です。Creative Commonsは、著作権を100%守るか100%放棄するかを選択しなければならに現行法を改め、本来あるはずのグラデーショナルな権限を可視化して、自分の権利をどこまで守るか、自分で決められるようになっています。上書き(改変)の許可も表示できます。そのライセンスに倣って、住宅設計の権利表示も可能なのではないかということを考えました。もともと建築界の著作権の運用は良く言えばおおらか悪く言えばずぼらで、クリエイティブ・コモンズの考え方に近いところがある。たとえば建築家は本来は誰にも教えたくないはずのキメのディテールを雑誌で惜しげもなく公開してしまいます。また徒弟制度みたいなものが残っていて、弟子の作品からなんとなく師匠の血筋が見えることなどもそうです。そうした環境だからこそ、みんなで共有しやすいプラットフオームをつくりあげることが可能なのではないかと考えました。


<スライド4>

CCハウスの前身としては海運コンテナの規格を転用した一連のプロジェクトがあります。日本の高い人件費を回避するために、建物のできるだけ多くの部分を海外で生産し日本に輸入しました。その際、海上輸送を可能にするのが海運コンテナのフォーマットです。国内で使うためには工夫が必要で、例えばISO規格でつくられているコンテナをJIS規格でつくり直す。それから構造上の耐力を負担させないかたちで、フレームの中にコンテナを差し込んでいくなどの方法が採られています。私の場合は、コンテナの規格外形寸法とコーナーのロックの機構のみを流用して、箱自体はほぼ一般的な建築としてつくる。だから普通に確認申請を通すことができます。ちなみに私のように小さな設計事務所でも、毎週のようにコンテナ建築つくらないかというお誘いがありますから、ビジネスとしての可能性はあるかもしれません。国内では法的拘束が多いですが、輸出だと思ったより簡略化される可能性があります。海外進出で爆買いに来ている中国人にもしかしたらこういうものが大量に売れたりするかもしれない(笑)。

また2年前くらいには、NCNという会社が主催した展覧会で「House Maker」という住宅設計アプリを提案しました。NCNはSE構法の会社で、未来のSE構法の家を考えるというお題をいただき、そこで私は単に一件の未来の住宅を設計するのではなく設計支援アプリを開発することにしました。エンドユーザがiPad上の簡単な操作で自分で住宅の設計をすると、積算、構造計算もしてくれて住宅を注文できる仕組みです。ある意味では建築家を介さずにエンドユーザが直接自分の家を設計するシステムと言ってもよい。住宅を手に入れるとき、完成された商品として買うと建物との関わりが薄くなってしまうので、それをなんとか改善したいという思いがありました。アプリには撮影ボタンがあって、自分の設計した家を撮影してシェアすることができます。いずれはデータそのものを共有して、誰かが設計した家を他の誰かが途中から引き継いで設計することも可能にします。このようなプラットフォームとしてのアプリを開発しました。

場の産業としての建築
吉村
松村先生の本の冒頭に仕事の話が出てきます。仕事とは「人がたえず何かに専念していて、それが現実と接触しているようにする」ものだ、と書いてある。建築はそのための仕事として非常によいのではないかと記されていて、僭越ながらまったく同感だと思いました。ひとつはプロフェッショナルである私たちに本当の意味での仕事を提供してくれる職種であると心底思える。と同時に、もしかしたらエンドユーザも含め、その人の人生の意味を見出せるような何かとして建築というプラットフォームが活かせるのではないかとも思います。
「House Maker」のアプリも単純に買い物として家を得るよりも、ユーザの関わる部分を大きくするという意味で松村先生の考え方に関係していると思いました。

日本の建築家を職業として見ると気になることがたくさんあります。これは建築士の資格を持っている人の数です(図)。日本は100万人以上とダントツに多い。他の国と比べると、アメリカは10万人、フランスは3万人弱くらいです。韓国は8,000人、オランダは6,000人くらいしかいない。右側の青いバーは人口当たりの有資格者数を表していて、日本は100人に1人くらい有資格者がいて、韓国は6 ,000人に1人くらいしかいないとわかる。日本では建築家という言葉は資格とは異なる狭い使われ方をしているので、有資格者だからと言ってすなわち建築家とはならないのですが、私は有資格者=建築家で、ただその職域が日本では拡散していると捉えた方が正確ではないかと思っています。こちらのグラフは、住宅の着工件数がどれくらいあるかを示しています。日本は突出して新築の数が多いし中でも戸建の数が多いことがわかります。数字上だけで言えば、100万人の建築家が毎年100万戸の住宅を建てていることになる。他の国とまったく異なる産業を形成しているといってもいいと思います。この建築家の数と戸建住宅の数の多さが、たくさんのすぐれた住宅のデザインを生み出し得た大きな要因だと思います。


<スライド5>


<スライド6>

こちらのグラフは空き家の数で、全国で820万戸、全住宅の13.5%が空き家になっていることがわかります(図)。この問題にデザインで100%応じることは難しいですが、職域を拡げた建築家はデザイン以外に取り組んでもよいわけです。空き家の内訳を調べてみると、実は別荘も空き家にカウントされているのですが、それならば別荘の使い方を変えてみることで、なんらか新しい提案ができるのではないかと思い考えたのが次のプロジェクトです。


<スライド7>

これは「Nowhere resort」という一軒家を一週間貸しするというプロジェクトです。自分で設計した住宅を短期で賃貸する仕組みをつくりました。今で言う民泊ですね。住宅の賃貸契約は通常2年ですが、1年だから賃貸じゃないとは言えない。賃貸期間をどこまで短くしていくと賃貸でなくなってしまうのか、宿泊になってしまうのかという問いを立て、行政も巻き込んで試行錯誤を繰り返し導き出したのが一週間という単位でした。家を中心にすれば毎週オーナーが変わる家の実験ですし、人を中心にすれば多拠点居住者を増やす実験です。もちろん、ただ多拠点居住化を推進しただけでは、世帯数と戸数の差は変わらず、数字上の空き家率は減りません。しかし使い方がたくさん開発されて、空き家側にノミネートされているものが実際は使われているという状況がつくれれば、空き家の数は減らないけれど、空き家問題そのものは解決すると考えました。


<スライド8>

私自身は社会や住宅産業を変えられるとまで大それたことを考えてやっているわけではなくて、逆にそれらの動向の変化が建築にどう影響を与えるかに興味があります。建築家の住宅設計は、特殊な敷地で、特殊な予算で、特殊なクライアントがいて、特殊な形状を生み出すということにあまりにも特化しすぎていて、特殊解の事例集のような状態になってしまっている。もうすこし世の中のスタンダードみたいなもの、昔でいうと民家みたいなものに建築家が関わる機会がないかなと常々思っています。未来の民家はどんなものだろうという興味。特に東日本大震災後は、その思いが大きくなりました。
企業情報 このサイトについて プライバシーポリシー