Aプロジェクトシンポジウム
「時間がよびさます建築」イベントレポートー【5】
「時間がよびさます建築」イベントレポートー【5】
質疑応答
清水
もう時間も迫っていますので、もしよろしければ会場から、お二人に対してご質問あれば何人か受け付けたいと思います。
質問者1
今日は楽しいお話ありがとうございました。西澤さんの美術館についてお聞きしたいんですけど、すごく色々な対応をして、まさに時間について考えていく計画だと思ったんですけど、やはり日本の文化の保存に対する意識って、原型主義って言うか、残すんだったら原形で、例えば神社を残すときも、朱色の塗った元の状態まで戻すっていう思想が強いと思って、一方で海外だと古びていく雰囲気だとかそういうの残していくのがウケているというのもあると思うんですよね。 でも今回パースを見ると、プレゼンテーション用なのかもしれませんが、すごく新しいものに見えるんですよね。古いパーツはいろいろあるのかもしれないんですけど、やっぱり徹底的に美術館のスペックを生かすと言うか、床が美術館らしい床になっているようにも見えます。その辺はスペックの問題でしょうがないかもしれないんですけど、古いものの汚れというか、そういうものに対しての保存についてどう考えているのかお聞きしたいです。
西澤
それはさっきのと同じなんですけど、現代に求められる機能と必要とされているものは何かっていうのを正しく見極めていって、素材とか形にどういう風にして行けばできるだけ違和感ないものができるかっていうのを足していくかということだと思います。つまり現代に求められる機能とか要望がどういうもので、それが何十年スパンでどういう風に使われるかってことが、それこそ文化的景観でアクティビティを維持しないとそもそも成り立たないでしょうって言ってることと一緒で、昔はこういう使い方があったからこうだけど、今はこういう使い方だからこうした方 が伸びるというのはあると思うんですよね。当時の使い方を踏襲しているだけでは、当時の形は保存できるかもしれないですけど、現代では死んでしまうという問題があるので、じゃあフローリングならフローリングについて、その色はどうするかとか、どういう耐久性にするかということに対してのみ考えるという風なスタンスですね。
清水
今の話って、オリジナルが大事なのか、現状が大事なのかって話と、あと現在の機能に合わせた改変っていう3つぐらいレイヤーがあって、そのどのあたりに重きを置いているのかっていうことになりますよね。
質問者1
それだと、古びのもつ良さについては考えなくていいということですか?
西澤
それは別にそんなにコンシャスではないですね。どちらかと言うと、僕がよく例えに出すんですけども、ハイエットセンターっていうグループが、オリンピック誘致のときに銀座で『清掃促進運動』っていうパフォーマンスをやって、銀座をピカピカに清掃したんですよ。路面を雑巾がけしたり、マンホールをピカピカにしたりしてパフォーマンスをやったんですよ。それはその東京オリンピックでたくさんの舗装道路ができていることに対してのアンチテーゼでそんなことしなくても綺麗になるでしょうみたいなことなんですけども、でも実際ススを落としたら綺麗な感じになるじゃないですか。新しい感じになるじゃないですか。僕はそういう感じの空間の蘇らせ方とか、極端なこと言えばそういうことでいいかなと思うんですよね。古いものだからいいみたいなことは全く価値観を持ってなくて、それは今にとってこういう表面の整え方である方が使いやすいとか面白いとか楽しいとか、そういうことを誘発するものがどういう操作でできるかということを考えているので、古いものとか新しいものとかということの必要性は考えていないですね。
清水
文化財屋さんはそういうことにこだわるんですけどね。
西澤
そのまんまにしろって言われます。
質問者2
じゃあ平田さんに対して質問させていただきます。文化的景観というおもしろい話で全体形がなんとなくあって移り変わっていながらもその質が保たれるみたいなことをおっしゃってたと思うんですが、建築の場合はストラクチャーというものがずっと存在してくれるし、逆に存在してしまう中で、ある建築がそうやって生きたものとして永らえていった時に、いわゆる構造計画とか 平面の構成とか、そういうものを計画する時にどのように捉えられているのかということをお聞きしたいです。
平田
僕は伊東事務所出身なので伊東さんはすごいベーシックには、メディアテークのように骨と皮だけになってもひとつの形式として成立するような構造の考え方っていうのを重視していて、そこの部分は引き継いでいるところはあります。いわゆる構造家とのコラボレーションは非常に重要だと思っていていますけれども、その一方でそのストラクチャーからスタートしすぎてしまうと 融通無碍にその後変わっていくようなことがしにくくなるようなストラクチャライズのあり方もうありますよね。そうじゃない方のストラクチャライズのあり方もあって、その違いには結構敏感になっていて、いかに美しい構造であったとしても、その先からみづらい完成度合いになった構造にならないように構造を考えているというのが今の状況です。ただ上位の概念というか、高次の概念というか、建築が全体であることをどう捉えるかみたいなものがこの先浮かび上がってこないのかっていうことに僕は結構興味があって、やっぱりコンピューターやそれこそAIとかが出てくると扱える数の大きさとかデータの量とか、ある水準を越えつつあるわけですよね。それがある一定以上の量が集積したものを扱えるようになった時に、今までの人の在り方と違う考え方を導入していないと追いつかないと思うんですよ。つまり例えば、どこでインフルエンザが流行するかっていうのは検索ワードで調べたらなぜか分かってしまうんですよね。そこに理論はないけれども、データの集積として、ある傾向として見れてしまう。要するに今までモデル化をして理想化して算出した単純なストラクチャでものを考えて、それに乗って何か予測したり考えたりっていうのが人類の今までの知の形体だった訳なんですけども、その知の形体を超えるような事態が起こっていて、その身をもってせずとも分かってしまう、予想できてしまうという事態すら起こっていて、それをじゃあどう考えるかっていうと、別の次元でストラクチャライズしたくなっちゃうわけですよね。それは何か建築のあり方をおそらく変えるだろうと思っていて、だからその今までみたいなモデル化と対応したようなストラクチャライズの在り方とは違うものに可能性を感じているわけですね。もっと何か変えていくきっかけみたいなものがあって、それが実際に見つかったら本当に歴史的な建築が作れるのではないかという風には思っています。
締めくくり
大島
今日は、お二人の建築家の最新作の事例をお聞きしながら設計の核心をお聞きすることが出来ました。そして、二人の建築家の作品の解釈を歴史家の清水さんが今まで聞いたことの無い角度からアプローチをかけ、紐解いてくれました。反論も異論もありましたがまさしく知の闘いが展開され、今までに無い建築の見方や楽しみ方を感じることが出来たように思います。最後に、ゲストの三人の今後のご活躍を期待するとともに来場者の皆様の幸運を願って、これにてお開きとさせていただきます。本日はありがとうございました。