Aプロジェクトシンポジウム
「テクトニクスの現在形ーー新しい建築の風」
イベントレポートー【4】
「テクトニクスの現在形ーー新しい建築の風」
イベントレポートー【4】
山道
お二人の話を聞いていて、対照的だなと思いました。エウレカはヴァナキュラーをつくるために専門性が異なる人が集まり、一次、二次、三次と階層的にアイディアを重ねて全体をまとめ上げるチームで取り組んでいます。それに対して中川さんは、トンチと言いますか、屋根が200平米に対して内部は90平米だったり、もとからある擁壁の曲面を壁と見立てたり、既存の倉庫の躯体に壁のない軸組を寄りかからせたビッグテーブルで下にあるバラバラをまとめ上げるというような、ある種の言い切りからスタートしつつ、まとめ上げていく設計の体力が素晴らしいなと思いました。中川さんはオンデザインでチーム的に働いていたこともありますが、お互いに働き方についてはどう思いますか。
稲垣
エウレカの方法は、常に1次フレームが明快にあるわけではないのです。1次フレームがそんなに強くないというか、どんどん弱められる、読み替えられていくという点が中川さんと違うと思います。我々は始めに仮説としたものが読み替えられていくことに優位性を持って設計しています。対して、中川さんは最初の着眼点が他の人ができないようなもので、最後に出来上がったのもの設計の始めから見えていたんだなと思いました。我々は途中でパスを出しつづけながら、始めに着地点が見えていることは少ないなと思いました。
中川
いや、大きく出た分、きっちり落とし前をつけなければと必死にもがいているだけなのです。もがく中で、最初に行こうと思っていた以上の遠い岸に泳ぎ着かなければならないと思っているので、その点はエウレカと同じかもしれません。オンデザイン時代、パートナー制という共同設計を代表の西田司さんとしていましたが、西田さんがよくおっしゃっていたのは「パスサッカーのように」ということでした。スーパースターがドリブルでシュートを決めるのではなく、パスを回していって、最後にシュートを決めるのは西田さんという形だったので、オンデザイン時代の私はどんな球がきてもシュートに直結するセンタリングをあげることができるような体力をつけようと思っていました。ディスカッションから建築をつくっていくという方法は、先ほどお話した理科の実験のように、最後、どうなるかわからないという不確定さを設計する時におもしろい方法だと思っています。こうやって公の場で代表してお話しするのは私だけなのですが、独立後も一人で設計しているわけではなく、事務所のみんなで模型を囲みながら、いろいろ意見を言って、ディスカッションスタディをしているのは変わらないところです。ただし、変わったところとして自覚しているのは、仮説の入り口がふらついていると、どこまでも道がぶれたり、後戻りできてしまうので、入り口は私が決めよう、ということです。入り口に共感してもらったうえで、協働するチームのそれぞれが特徴を出しながら、パスを回してほしい。それはオンデザイン時代とは少し違うディスカッションの進め方かもしれないと思っています。
先ほどのフレームのお話については、そもそも私は躯体が好きで、個人的には上棟式に萌えるタイプなので、1次フレームがそもそも好きです。あと、たとえば住宅を設計する時に「それは意匠的にダメです」、とは極力言いたくないので、どんなものが入ってきても構わないと思える土壌をつくっておきたいという思いが構造に表れています。包容力のある1次フレームをつくりたいという考えです。
先ほどのフレームのお話については、そもそも私は躯体が好きで、個人的には上棟式に萌えるタイプなので、1次フレームがそもそも好きです。あと、たとえば住宅を設計する時に「それは意匠的にダメです」、とは極力言いたくないので、どんなものが入ってきても構わないと思える土壌をつくっておきたいという思いが構造に表れています。包容力のある1次フレームをつくりたいという考えです。
山道
中川さんは大屋根を設定しながらも、柱が外に出ている。1次フレームという揺るがないもののように見えて、「破れ」をつくるというか、あえて逸脱させている。つまり1次フレーム自体もバラバラさに寄与しているように見えます。その「破れ」をつくるモチベーションはなんでしょうか。
中川
例えば、タイルの目地を揃えるとかモジュールでつくることなどは誰でもできるし説明でき過ぎてしまうのですが、その説明できるということに息苦しさを感じるようになったのです。あまりにも制御しすぎているのではないかと思うようになりました。もう少し人間が発見的に暮らしたり、快楽性に向かう時に、むしろ全部説明できてしまっていいのかなと。竣工後にお施主さんがどんな家具を置くのか、どう時間を感じるのか、そういうたわいもないことや気分も、建築のまとめ方に含めたいなと思っているのです。
山道
制御ということで、稲垣さんにも伺いたいのですが、解析結果とはあえてズレている、操作できる余地を残しているように見えます。
稲垣
「破れ」はまさにつくろうとしています。中川さんが「地域性を巻き込んだ方が、ユニバーサル」とおっしゃっていましたが、地域性を建築の中に引き込むために「破れ」が必要というか、そういうものがないとユニバーサルな方向の快適さしかつくれないのではと思っています。使うことからできるローカルがあると思うので、秩序だったものより、「破れ」があるほうが、人は快適に感じるのではないかと考えています。
山道
お二人の話を伺っていると、かなり動的な空間を作ろうとしていると思いますが、今日は「時間」についてもお伺いしたいと思っていました。ランドスケープや川など歴史的な時間の中でできたものへの俯瞰的な視点や、日々の使い方や運営や、その間くらいの構造としての寿命を重ねて、時にはお互いに刺激し合うことで、中川さんの「新築でもリノベーション」という言葉だったり、エウレカのプロジェクトの説明が、三次から一次に話す順序がひっくり返ったりということが出て来ていて、興味深い建築的思考です。
稲垣
設計の中で目指しているものの中の比喩に、ヴァナキュラーや中国の集落に憧れるところ、それは古めかしくもあるし、みんなで共有できるものでもあると思うのです。それはチームの中でそれぞれ違うけれど、私が他の人に話す時に主張するのは伝統的に時間に耐えて来た建築は、時間をかけてつくってきたこともあるのですが、今もなお変わり続けているというか、例えば木造の高床がプレキャストコンクリートのピロティになってより高くより水害に耐えられるように変わっていることに憧れを抱いています。
そこにいる人たちが生き生きしているという短期的な成果もあるし、長大な歴史と個人の振る舞いがつながっているところに、設計でも近づきたいと思っています。
そこにいる人たちが生き生きしているという短期的な成果もあるし、長大な歴史と個人の振る舞いがつながっているところに、設計でも近づきたいと思っています。
山道
どういう時間が流れているかを方法論として置き換えるとこうなるということで、理解できそうです。
中川
建築設計をしている人は建物が好きな人が多いと思うのですが、私はむしろ街やそこで暮らす人間の営みに興味があって建築家になったようなところがあるので、今この場で見えているものが全てではないと常にどこかで思っています。最近のコンペ結果をみていると「街のような建築」というキーワードや、建築家がまちづくりに関与する動きが散見されます。もちろん良いことだと思うのですが、その反面、あまりにも同時代的すぎるのではないか、とも思います。もっと長い、知らない時間が積み重なっていくことにも意識を向けたいと思うのです。過去や未来を孕ませようと思うと、やはり地域性という、そもそもそこにある長い時間は無視できないのです。桃山ハウスの敷地に出会った時、人と地形の葛藤の歴史を見て感銘を受けて、縦軸、つまり時間を積み重ねる価値に興味を持つようになりました。
ハコモノ批判をされている時代に学生だった私たちは、「つくって終わり」などとは全く考えていない世代であり、竣工後に朽ちていく建築は寂しいなと思います。たとえ花が枯れても代替わりしたり、他の植物が芽吹き、強風で木が折れても、たいして気にならずに、全体が動きながらバランスをとって生き続けるというような、庭が持つ時間軸は、建築家が知らなかった永続性です。そういった朽ちても続いていく時間の大きさに興味があります。
ハコモノ批判をされている時代に学生だった私たちは、「つくって終わり」などとは全く考えていない世代であり、竣工後に朽ちていく建築は寂しいなと思います。たとえ花が枯れても代替わりしたり、他の植物が芽吹き、強風で木が折れても、たいして気にならずに、全体が動きながらバランスをとって生き続けるというような、庭が持つ時間軸は、建築家が知らなかった永続性です。そういった朽ちても続いていく時間の大きさに興味があります。
山道
いろいろなものを受け止めてくれそうなお二人には、シェア空間などのプロジェクトがたくさんきて、場合によっては同じようなものをつくってくださいと言われるようなことはないでしょうか?つまり動的な思考を経てつくって来た建築が形式化してしまうようなことについてどのように考えていますか?
中川
私は独立してから数年なので、そういう経験はあまりないのですが、単位の捉え方を変えてみることはよくします。単位の捉え方を変えると、最終的な建築のまとまり方も変わるということを、今までの実体験から感じます。
山道
テクトニクスを考えるうえでの構成要素をずらす、ということですね。
中川
設計のプロセスで求めることもずれていく楽しさがあるのです。たとえば構造の解析でいうと、普通は唯一無二の最適解を探すと思うのですが、解析と人間の知恵の間を狙うと、答えはいくつもあるという自由さや気軽さが生まれるのです。それが最終形の建築にも残るといいな、と。
山道
中川さんは外部の専門家と綱引きをしていますよね。そしてエウレカには社内にいますが、どうやって格闘しているのですか。
中川
それは聞いてみたいです。設計の過程で、「それ、この間と似ているね」と言われたりしませんか。
稲垣
「またおんなじことやってるね」と構造や環境の人に言われますね。「工学出身なのに最適化をいい加減に目指そうとする」とも言われます。物理的に人間のいない環境で最適化を測っても、人間が入ると変わってしまいますし、アナログなものがよく働くというか、人はどういう窓の方が開けたくなるか、というのがどういう風の道をつくるかとセットにならないと快適な環境にならないです。
山道
チームの中でやるか外でやるかの違いが、プロジェクトに投影されているように思います。青森県美術館の構造は、トラスのところにわざと窓を開ける方が全体としてしっくりくるという判断を青木淳さんがしたのだと聞いたことがあります。快適域については稲垣さんの感覚なのか、データとして捉えるのか、どちらですか。
稲垣
構造については、意匠設計者が提示した建築のかたちを実現するために、ピュアに成り立たせる構造設計はしないと決めていて、エウレカの構造パートナーとしての合理性やビジョンでどう変えられるかという意識でやっています。他の人に構造してもらうというのは全然違って、お節介なほどに構造以外のことを考えて変えてくるので、私たちもそういうものが返ってくると思って待っています。
中川
チームの中に違う視点の人がいると、圧倒的にコミュニケーションの密度が濃いと思うのですが、それが建築の組み立てに反映されていますか。
稲垣
現場で「変えてもいい?」と電話することはよくありますが、中川さんもやっているんじゃないかなと思います。
中川
私は外部の人でも密に連絡とりたいので、設計期間中も、監理中も、打ち合わせの回数が多いですね。迷惑がられているかもしれませんが、それをやらないとだめだなと、今はそう思ってやっています。